頭の中の絶対者

「僕」の中には 『もうひとりの自分』がいて、僕をコントロールしている。

肉体の管理者は「僕」であり、自在に行動することができるのですけれど、

『もうひとりの自分』は絶対者であるので、この命令に従って生きている。

反対しようとも思わない、ただただ従うのみである。

それは信者と教祖の関係にいている。

 

 

これを知人に話したら「それは直感ではないか」との反応であったが、

直感は別であるので違う。頭の中の『もうひとりの自分』は姿かたちは僕であり、

その僕が命令するのだ。

これは自由意志ではない。

僕はもうひとりの自分の命令に従って行動している。

二重人格でもない、不思議な感覚。

 

これを彼女に話したら

ヤマザキマリさんの本に出てくるマザーがそっくりだ、とのことだった。

それがヤマザキマリさんの「とらわれない生き方」という本だ。読んでみた。

 

私の中には常にもうひとりの自分がいるんですが、そのもうひとりの自分の事を「マザー」と呼んでいます。心の核に存在する、ゆるぎない自分という感じでしょうか       P18

 

まさにこれだ。僕が絶対者と呼んでいるもの。

 

自分を幽体離脱のように、遠くの視点から客観的に見て(中略)把握し、 (中略)動く自分がいる。 

 

そうそう!僕のマザーも右後ろでずっと僕を見ている。

僕のやりたくないことでもどんどん命令してくる。

 

マザーは「何があっても大丈夫だから、やっておいで」と、働く私を送り出してくれる感じです。

 

この点が僕のマザーと違う。 安心できて頼れる存在ではない。

『もうひとりの自分』は僕の形をした、まったく別の存在で

支えてくれはしない。会話は成り立たず、向こうから命令が飛んでくるだけだ。

一度も会話したことがない、一方通行の疎通。

それもいつ来るかまったくわからない。どんな命令かも、その瞬間にならなければ

わからない。便意のように予兆などなく、突然やってくる。

 

ヤマザキマリ氏のマザーは自分の芯であり、

まさに「とらわれない生き方」をしようとしたときに、

自分の本当にやりたいこと、すべきことに迷ったときに

道しるべになってくれるもの、心に寄り添ってくれる存在、ということであろう。

僕のマザーもそんな風になっていただきたいものだ。